【ランプを囲んで】を徹底解説。2026年注目の隠れ傑作が描く、「家族の団欒」

印象派・近代美術

夜、あなたの家のリビングはどれくらい明るいですか?

天井のシーリングライトが部屋の隅々まで照らし、テレビやスマホの画面が青白く輝いているかもしれません。
現代の夜は、まるで真昼のように鮮明です。誰もが自分の手元で好きな動画を見たり、SNSをチェックしたりできます。

スイッチ一つで闇を消し去れる時代。
私たちは便利さを手に入れた代わりに、ある大切なものを失ってしまったのかもしれません。

今回は、そんな「失われた時間」を描いた一枚の絵画をご紹介します。
エルネスト・デュエズ作《ランプを囲んで》

エルネスト・デュエズ《ランプを囲んで》(1882年)
出典: Ernest Ange Duez, Public domain, via Musée d’Orsay

2025年秋から国立西洋美術館で開催される「印象派―室内をめぐる物語」展で来日する可能性が高い、知られざる傑作です。
この絵が描かれた「電気のない夜」へ、少しだけタイムスリップしてみましょう。

項目詳細
作品名ランプを囲んで(Autour de la lampe)
作者エルネスト・アンジュ・デュエズ(Ernest-Ange Duez)
制作年1882年頃
技法キャンバスに油彩
サイズ150.5 cm × 175 cm
所蔵オルセー美術館(パリ)
展示予定国立西洋美術館「印象派―室内をめぐる物語」(2025-26)

光の円(サークル)の中のドラマ

まず、この絵の「暗さ」に目を凝らしてください。
描かれているのは、あるブルジョワ家庭の夜です。

画面の中央には、大きなオイルランプが置かれています。
緑色のシェード(笠)が掛けられ、光はテーブルの上に円錐状に広がっています。
その「光の円(サークル)」の外側は、ほとんど完全な闇です。

この狭い光の中に、三人の人物が集まっています。

沈黙のチェス・プレイヤー

テーブルの手前では、初老の男性と少女が向かい合っています。
彼らの間にあるのはチェス盤です。

男性(画家の友人、あるいは義兄と言われています)は、頬杖をついて盤面を見つめています。
対する少女も、真剣そのもの。子供特有の「遊んでもらっている」甘えはありません。一人のプレイヤーとして、次の一手を熟考しています。

この少女の横顔を見てください。
彼女は今、大人と対等な立場で思考しています。
19世紀末、子供部屋に隔離されるのではなく、大人の社交の場であるサロン(居間)に参加することが許された、新しい時代の「子供」の姿がここにあります。

光の番人

そして、その二人を少し離れたところから見守る女性。
画家の妻、アメリー・デュエズです。
彼女はランプの光の端で、黙々と裁縫をしています。

彼女の位置は絶妙です。
夫と娘(あるいは姪)のゲームを邪魔しないよう、少し離れた場所に座っていますが、その視線は二人を優しく包み込んでいます。
裁縫の手を休めず、しかし心は「ここ」にある。
家庭という小宇宙の守護者としての静かな威厳が漂います。

色彩の爆発

静寂に包まれたこの部屋で、唯一「大きな声」を上げているものがあります。
テーブルの上に置かれた、芍薬(ピヴォワンヌ)の花束です。
白、ピンク、深紅。
闇の中でそこだけ命が爆発したかのように咲き誇る花々が、この静かな時間が「死」ではなく「充実した生」であることを告げています。

この花束の描写には、エドゥアール・マネの影響が見て取れます。
厚塗りで大胆に置かれた絵具は、近づいて見るとただの色の塊に見えるかもしれません。しかし離れて見ると、瑞々しい花弁そのものになるのです。

「不便」が作った家族の団欒

この絵を見て、「狭苦しいな」と感じるでしょうか?
それとも、「懐かしいな」と感じるでしょうか?

タイトルにもなっている「ランプを囲んで(Autour de la lampe)」という言葉。
これは19世紀の人々にとって、単なる位置関係ではなく、生活のスタイルそのものを指す言葉でした。

ランプの専制政治

1882年当時、エジソンの電球は発明されていましたが、一般家庭にはまだ普及していません。
夜の照明は、依然としてオイルランプが主役でした。

しかし、オイルランプの光は弱く、届く範囲はせいぜい半径数メートルです。
つまり、夜になって本を読みたい、手紙を書きたい、裁縫をしたいと思ったら、家族全員がひとつのランプの下に集まるしかなかったのです。

お父さんが新聞を読み、お母さんが縫い物をし、子供が宿題をする。
たとえ会話がなくても、肩が触れ合うほどの距離に家族がいる。
呼吸を感じ、衣擦れの音が聞こえる。

これは「不便」が生み出した、強制的な団欒でした。
社会学的に見れば、「照明技術の限界」が「家族の親密さ(Intimacy)」を物理的に保証していた時代だったのです。

フェリックス・ヴァロットンとの比較

ここで、少し後の時代に描かれた別の作品と比べてみましょう。
フェリックス・ヴァロットン作《ボール》(1899年)です。

フェリックス・ヴァロットン《ボール》(1899年)
出典: Félix Vallotton, Public domain, via Wikimedia Commons

ヴァロットンの絵では、子供が広い公園(あるいは庭)で一人、ボールを追っています。
背景には小さく大人の姿が見えますが、子供との距離は断絶しています。
ここには「孤独」があります。
同じ「光と影」を描いても、ヴァロットンの影は不安を煽るような黒ですが、デュエズの影は家族を守る繭(コクーン)のような優しさがあります。

デュエズが描いたのは、近代化によってバラバラになる直前の、最後の「家族の統合」だったのかもしれません。

マネ vs デュエズ:二つの「1882年」

美術史的な視点で見ると、この《ランプを囲んで》はさらに興味深い意味を持ってきます。
実はこの絵が発表された1882年のサロン(官展)には、もう一枚、歴史に残る「光」の傑作が出品されていました。

エドゥアール・マネの遺作、《フォリー・ベルジェールのバー》です。

エドゥアール・マネ《フォリー・ベルジェールのバー》(1882年)
出典: Édouard Manet, Public domain, via Wikimedia Commons

都会の孤独 vs 家庭の安らぎ

項目マネ《フォリー・ベルジェールのバー》デュエズ《ランプを囲んで》
場所パリの最新ナイトスポット静かなブルジョワの自宅
まばゆい電気照明とシャンデリア柔らかいオイルランプ
テーマ群衆の中の孤独、虚無家族の絆、安心感
評価さすがマネ! 近代の真実を描いた保守的で退屈なブルジョワ趣味

当時の批評家ユイスマンスは、デュエズの絵を「詩人コペーが好むような、退屈で平凡なブルジョワの幸せ」だと皮肉りました。
そして、都会の虚無感を冷徹に描いたマネを「近代の真実」として絶賛したのです。

確かに、美術史の教科書に残ったのはマネの方でした。
「近代=個人の孤独」という図式において、マネは正しかったのです。

しかし、150年後の今、私たちはどう感じているでしょうか?
都会の孤独や、消費される人間関係にはもう十分すぎるほど直面しています。
マネの絵が突きつける「冷たい真実」に疲れてしまった現代人にとって、かつてユイスマンスが「退屈」だと切り捨てたデュエズの「圧倒的な安らぎ」こそが、今もっとも必要な処方箋のように思えるのです。

画家エルネスト・デュエズとは?

最後に、この絵を描いた画家について少し紹介しておきましょう。
エルネスト・アンジュ・デュエズ(1843-1896)。
日本ではほとんど無名の画家ですが、当時はかなりの有名人でした。

彼は「中道派(ジュスト・ミリュー)」と呼ばれるグループに属していました。
これは、伝統的なアカデミズムの確かな技術を持ちながら、印象派の明るい色彩や現代的なテーマを取り入れた、「いいとこ取り」の画家たちのことです。

サージェントが描いた「ダンディ」

デュエズは大変な洒落者(ダンディ)で、近所に住んでいた肖像画の巨匠ジョン・シンガー・サージェントとは親友同士でした。
サージェントが描いたデュエズの肖像画をご覧ください。

ジョン・シンガー・サージェント《エルネスト・アンジュ・デュエズの肖像》(1884-86年)
出典: John Singer Sargent, Public domain, via Wikimedia Commons

完璧に仕立てられたスーツ、自信に満ちた立ち姿、そして理知的な眼差し。
彼がいかに当時のパリで成功し、洗練された生活を送っていたかが伝わってきます。
《ランプを囲んで》に描かれた部屋が、単なる「平凡な家庭」ではなく、最新の文化と芸術が香るサロンであったことも納得です。

また、彼の妻アメリーはプロ級の歌手で、あのガブリエル・フォーレの歌曲を初演したことでも知られています。
《ランプを囲んで》の中では静寂が支配していますが、実際の彼らの生活空間には、常に最新の音楽と芸術談義が溢れていました。

光とくつろぎの画家

デュエズは室内画だけでなく、外光を取り入れた作品も得意としました。
最後に、彼のもう一つの魅力である「くつろぎ」を描いた作品《休息》をご紹介します。

エルネスト・デュエズ《休息》(1888年頃)
出典: Ernest Ange Duez, Public domain, via Wikimedia Commons

ここでもまた、彼は人物(おそらく妻アメリー)のリラックスした瞬間を捉えています。
彼のまなざしは常に、激動する社会の記録よりも、身近な人々への愛と共感に向けられていたのかもしれません。


【予習】2025-2026年 東京展ガイド

さて、この素晴らしい絵画を実際に見るチャンスが近づいています。

2025年10月25日(土)から2026年2月15日(日)まで、東京・上野の国立西洋美術館で「オルセー美術館所蔵 印象派―室内をめぐる物語」展が開催されます。

この展覧会は、まさに「室内」と「親密さ」をテーマにした企画展です。
出品リストの詳細はまだ発表されていませんが、オルセー美術館が持つ「室内画」の至宝である本作が来日する可能性は極めて高いでしょう。(※もし来なかったらごめんなさい! でもテーマ的には主役級です)

ここに注目!

もし会場でこの絵に出会えたら、ぜひ以下のポイントをチェックしてください。

  1. 緑の透過光: ランプシェードを透かして広がる、微かな緑色の光のニュアンス。印刷では絶対に再現できません。
  2. 芍薬の厚塗り: 闇の中で輝く花束。近づいて見ると、絵具が盛り上がっているのが分かるはずです。
  3. 等身大の家族: 幅1.75メートルという大きさ。絵の前に立つと、自分もその「光の円」の中に招き入れられたような錯覚を覚えます。

スイッチを切って、ランプを点けよう

私たちは、もう電気のない生活には戻れません。
でも、時には意図的に部屋の照明を落とし、キャンドルや小さなランプひとつで過ごしてみるのはどうでしょうか。

そして、スマホを置いて、目の前の家族やパートナー、あるいは自分自身と向き合ってみる。
そこには、デュエズが描いたような、不便だからこそ得られる「豊かさ」がまだ残っているかもしれません。

2025年の秋。上野の美術館で、140年前の「ランプの光」に会いに行きましょう。
その温かさは、きっとあなたの冷えた心を溶かしてくれるはずです。

展覧会情報
オルセー美術館所蔵 印象派―室内をめぐる物語
– 会場:国立西洋美術館(東京・上野)
– 会期:2025年10月25日(土) 〜 2026年2月15日(日)
– 公式サイト:https://www.orsay2025.jp/

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