芸術の都、パリ。近代美術の殿堂であるオルセー美術館の広大な展示室を歩いていると、ルノワールやモネといった印象派の傑作がひしめく中で、ひときわ異彩を放ち、来場者の足を引き止める一枚の肖像画があります。
エドゥアール・マネが描いた『笛を吹く少年(The Fifer)』です。
真っ赤なズボンに黒い上着、真鍮のボタンを光らせた近衛軍楽隊の制服。やや上目遣いのあどけない表情で、一心不乱に木管楽器の笛(ファイフ)を吹く少年の姿は、日本の美術の教科書にも必ず載るほど愛らしく、誰もが一度は目にしたことのある名画中の名画です。
しかし、1866年の春。
パリの展覧会でこの絵が最初にお披露目されたとき、当時のパリジャンたちは驚きの反応を示しました。人々はこの絵の前に集まり、腹を抱えて大爆笑し、「まるで仕立て屋の看板だ」「トランプのカードのようだ」と指をさして嘲笑したのです。
フランス美術界の権威である審査員たちは烈火のごとく怒り、この作品を最も権威ある展示会「サロン」から容赦無く叩き出しました。
なぜ、「ただの可愛い笛吹きの少年の絵」が、社会を根底から揺るがすような大炎上を引き起こしたのでしょうか?
そこには、ルネサンス以来数百年にわたって誰も疑わなかった「絶対のルール」を破壊した芸術の革命と、孤立無援で袋叩きにされたマネを命がけで守り抜いた、一人の若き天才小説家による熱い友情のドラマが隠されていました。
基本データ:スペインからの強烈な啓示
まずは、大炎上の引き金となった作品の基本データを見てみましょう。
| 項目 | 詳細 |
|---|---|
| 作品名 | 笛を吹く少年(The Fifer / Le Joueur de fifre) |
| 作者 | エドゥアール・マネ |
| 制作年 | 1866年 |
| 技法 | 油彩・キャンバス |
| サイズ | 160.5 × 97 cm |
| 所蔵場所 | オルセー美術館(フランス・パリ) |
この絵が描かれる前年の1865年、マネの精神状態はどん底の泥沼にありました。
彼は前年のサロンに、生々しい全裸の娼婦を描いた『オランピア』という作品を発表しました。(『オランピア』や『草上の昼食』の異常なスキャンダルについては、マネ『草上の昼食』はなぜ大炎上したのか? 美術史をひっくり返した「絶大な皮肉」と近代美術の誕生をご覧ください)。
神話の女神ではなく現実の裸体を克明に描いたマネは、「下品極まりない」「道徳の退廃だ」とパリ中のメディアと大衆から壮絶なバッシングを浴びます。傘で絵を突き破ろうとする観客まで現れる始末でした。心身ともにボロボロに打ちのめされたマネは、批判の嵐から逃れるために、友人のつてを頼って逃避行のようにスペインへ旅立ちます。
しかし、この失意のスペイン旅行こそが、美術史を根底から覆す決定的なターニングポイントとなりました。
マネはマドリードのプラド美術館で、17世紀の宮廷画家ディエゴ・ベラスケスの絵画群に出会います。
暗く沈んだ何もない空間の中から、人物だけがフワッと力強く、魔術のように浮かび上がる圧倒的な表現力に、マネは雷に打たれたような大きな衝撃を受けました。彼は友人に宛てた手紙で「ベラスケスこそ、画家の中の画家だ」と震えるような興奮を書き送っています。
「これだ! 背景のない無の空間に人物を立たせる。これを現代のパリのモチーフでやれば、新しい絵画が生まれる。批判ばかりする腐った批評家たちを、絶対に見返してやれる」
意気揚々とパリに戻ったマネは、知人の伝手を使って近所の軍隊の兵舎から「見習いの少年兵」を自分のアトリエに呼び寄せ、一気に等身大でこの革命的な作品を描き上げました。

図版:エドゥアール・マネ《笛を吹く少年》1866年, オルセー美術館
出典:Wikimedia Commons
炎上の理由:なぜ「トランプのカード」と笑われたのか?
「これこそ俺の最高傑作だ」。自信満々でパリ最大の美術展「サロン(官展)」の審査に提出したマネでしたが、待っていた結果は無残な「落選」でした。
それどころか、落選作を集めた展示で公開されるや否や、マスコミからは「まるでピエダルのカード(安物のトランプ)のようにペラペラだ」「壁紙の切り貼りだ」と嘲笑の的になってしまいます。
現代のグラフィックデザインや洗練されたアニメーションに慣れ親しんでいる私たちから見れば、すっきりと洗練された、非常に美しくモダンな絵です。当時の人々は、一体全体何に対して激怒したのでしょうか?
それは、マネがルネサンスの巨匠ダ・ヴィンチの時代から続く「絶対不可侵のルール」を、わざとらしく2つも破壊してみせたからです。
伝統の破壊1:陰影の完全なる放棄
当時のヨーロッパ絵画といえば、「暗い影」と「明るい光」を絵の具を混ぜて滑らかなグラデーションで繋ぎ、人物を彫刻のように「丸く、立体的に」見せることが大前提であり、画家の腕の見せどころでした。
しかしマネは、正面からカメラのフラッシュを強く焚いたように均一で強烈な光を当て、筋肉や衣服のしわを示す影を意図的に完全に排除しました。

図版:陰影を大胆に省略した赤いズボンと上着の質感
出典:Wikimedia Commons
少年の象徴的な赤いズボンを見てください。布の柔らかな質感や丸みは一切なく、ただの「赤い絵の具のベタ塗り」です。顔にも、鼻の下のわずかな影以外は存在しません。そのため、遠近法や立体感をありがたがる当時の保守的な人々には、「立体感のない、下手くそな切り抜きの紙」のように見えたのです。
伝統の破壊2:空間の消失
通常、人物の全身像を描くなら、背後には風景が広がるか、立っている部屋の壁や床を描き込んで空間の広がりを説明します。
しかしこの絵には、床と壁の境目(境界線)すらありません。少年は、どこから光が来ているのかもわからない、遠近法が完全に消失した「灰色の虚無の空間」にただポツンと浮いて(立って)います。
今でこそポスターや雑誌の表紙モデルでお馴染みの「切り抜き表現」ですが、当時としてはあまりに斬新すぎ、人々には「背景すら満足に描けない狂人のラクガキ」として怒りと嘲笑の対象になったのです。
孤立無援を救った「熱い友情」:若きエミール・ゾラの戦い
パリ中を敵に回し、「もう画家として終わりだ」と再び絶望の淵に立たされたマネ。
そんな針のむしろ状態の彼を、自らのキャリアと将来の生活をすべて賭けて、猛然と庇った一人の男がいました。のちに『居酒屋』や『ナナ』を執筆し、フランスを代表する大文豪となる、当時26歳の若き日のエミール・ゾラです。
当時、新聞『レヴェヌマン』紙の駆け出しの美術評論を担当していたゾラは、権威に迎合する世間の大合唱に真っ向から反逆します。
彼は新聞紙上で「サロンの審査員たちは古臭い埃まみれのルールに縛られ、目が完全に腐っている!」と痛烈に批判し、『笛を吹く少年』の異常なほどの斬新さをこう絶賛しました。
「私はこの絵の前で立ち止まっただなんて言わない。この絵が、私を強引に引き止めたのだ」
「背景の空気の中にくり抜かれたようなこの力強く、生き生きとした大胆な筆致こそが、未来の芸術である。私は自分の手を切り落とされてもいい、マネこそが今世紀最大の巨匠になると宣言する」
読者やスポンサーから「狂人を擁護する狂人」として猛烈な抗議を受けた結果、ゾラはなんと新聞社をクビになってしまいます。
それでもいっさい反省することなく、自費出版のパンフレットを発行してマネを全力で擁護し続けたゾラの深い自己犠牲に、マネは涙を流して深く感謝しました。大炎上した落選作の絵画が、新しい時代を切り開く「二人の若き天才」の激しい魂の絆を結んだのです(マネは後年、深い感謝の証として『エミール・ゾラの肖像』という素晴らしい絵を描き贈っています)。

図版:エドゥアール・マネ《エミール・ゾラの肖像》1868年, オルセー美術館
出典:Wikimedia Commons
タロットの謎と「合成顔」のミステリー
ここで、展覧会の音声ガイドではあまり語られない、少しディープなミステリーをご紹介しましょう。
マスコミから「トランプのカード」と揶揄されたこの構図ですが、マネは「無意識にそうなった」のではなく、本当に大衆的なカードのデザインを意識して意図的に描いていたという極めて有力な見方があります。
当時のフランスの大衆文化で流行していたタロットカード。マネが所持していたとされる「愚者(ル・マ)」のカードの構図を重ねると、斜めに構えた少年のポーズ、空間の平坦さ、色彩の配置が異常なほど酷似しているのです。

図版:タロットの「愚者」のカードに見られる類似した構図の例
出典:Wikimedia Commons
高貴で高尚なものとされていた芸術(ファイン・アート)の世界に、街角の大衆娯楽のチープなカードゲームの構図をあえてドヤ顔で持ち込む。マネの皮肉屋で反骨的な「パンク精神」が見え隠れします。
さらに、この少年の「顔」にも不気味な秘密があります。
着ている制服や体自体は軍隊から連れてきた本物の少年兵のものですが、首から上の顔は、たった特定の一人の少年を見たまま描いたものではないのです。
一説によると、マネが当時お気に入りだった女性モデル(ヴィクトリーヌ・ムーラン)のあどけない顔立ちと、マネの義理の息子(レオン)のふっくらとした輪郭を意図的にアトリエで合成して描いたとされています。
あえて男性とも女性ともつかない、リアルな生々しさを持たない「人形的な顔」に合成することで、人間の体温や感情を排除し、「これはただの絵の具のキャンバスである」という近代美術の極致を作り出そうとしたのかもしれません。(こうした伝統破壊の系譜は、遠く離れたミレー『落穂拾い』本当の意味。平和な農村を描いた絵が「大炎上」した理由の社会的炎上とも通底する部分があります)。
オルセー美術館で絶対に見るべき「3つのポイント」
もしあなたが幸運にもパリのオルセー美術館でこの絵に出会ったら、遠くから可愛らしさを眺めるだけでなく、絶対にギリギリまで近づいて確認してほしいポイントが3つあります。
1. 空間を決定づける唯一の「本物の影」
平坦に見える絵ですが、足元をよく見てください。「右足の靴の位置」とその後ろの床にだけ、スッと短い本物の影が落ちています。マネはただの奇をてらったアマチュアではありません。このわずか数センチの影を一つ書き込むだけで、少年が虚無の空間をフワフワと浮遊するのを完璧に防ぎ、重力を持たせて大地にしっかり立たせている絶妙なバランス計算を味わってください。
2. 空気を切り裂く「ズボンの黒いストライプ」
赤いズボンの側面に、太く力強い黒のライン(側章)が入っています。この「黒の輪郭線」が視覚的に虚無の空間をビシッと切り裂き、脚のシルエットをくっきり際立たせるモダンでグラフィカルなデザインになっています。浮世絵の版画の黒い輪郭線の影響を強く受けている部分です。
3. 写真ではわからない「生々しいインパスト(厚塗り)」
ペラペラなポスターのようにのっぺり見えると全員から批判されましたが、笛を巧みに操る手元や顔の白い絵の具のハイライトに数センチまで近づいて横から見てください。実は、筆の毛先の跡がざっくりと残り、絵の具が盛り上がっている荒々しいインパスト(厚塗り)で描かれています。マネの激しい息遣いが、150年以上経った今もそこに生きています。
おわりに:大文豪の予言の成就
すべてを敵に回し、暗闇の中にいたあの時。クビを覚悟しながらゾラは新聞の記事をこう結んでいました。
「いつか必ず、この作品はルーヴル美術館に展示されることになるだろう。その時、今日この絵を笑った連中は、自分たちの無知を恥じることになる」
当時は気でも狂ったかと思われたこの予言は、マネの死後数十年を経て、見事に的中します。大炎上した落選作の少年は、フランスという国家の至宝として正式に買い上げられ、文字通りルーヴル美術館を経て、現在オルセー美術館の一階中央の目玉として世界中から惜しみない称賛を浴びています。
ルノワールやモネといった「印象派」の画家たちが光にあふれた絵を描き始める数十年前。神様が決めた古いルールをたったひとりで嘲笑し破壊し、新しい「近代絵画(モダン・アート)」への重たい扉をこじ開けた反逆の男、エドゥアール・マネ。
『笛を吹く少年』は、ただ可愛らしいだけの少年の肖像ではありません。
旧態依然とした権威主義の心臓に向かって吹き鳴らされた、美術史上で最も美しく、そして最高にロックで過激なファンファーレだったのです。


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