スーラ『グランド・ジャット島の日曜日の午後』徹底解説。あの穏やかな公園に「娼婦」と「消えた色」が隠されている

ポスト印象派
図版: 『グランド・ジャット島の日曜日の午後』 (1884-1886) ジョルジュ・スーラ - 出典: シカゴ美術館 / Wikimedia Commons (Public Domain)
図版: 『グランド・ジャット島の日曜日の午後』 (1884-1886) ジョルジュ・スーラ – 出典: シカゴ美術館 / Wikimedia Commons (Public Domain)

その絵は、シカゴ美術館から決して外に出ることがありません。

幅3メートル、高さ2メートルの巨大なキャンバスに、48人の人々、3匹の犬、8艘のボート、そして1匹の猿。パリ郊外のセーヌ川の中洲で、穏やかな日曜の午後を過ごす人々——。教科書では「点々で描かれた有名な絵」くらいの紹介で終わってしまうことが多いのですが、ちょっと待ってください。

この絵、よく見ると色々とおかしいのです。

右端の上品な女性が連れている動物は、なぜなのか。左の水辺で釣りをする女性は、本当にを釣っているのか。そして何より、今あなたが目にしている芝生の色は、スーラが描いたものとはまるで違う色になっている——。

のどかな日曜の公園に見えるこの傑作の裏に隠された、科学者のような執念、社会の暗号、化学的に「消えた色」、そして火事で焼けかけた来歴ドラマ。今日はそのすべてをお話しします。

作品の基本データ

項目詳細情報
作品名グランド・ジャット島の日曜日の午後(Un dimanche après-midi à l’Île de la Grande Jatte)
作者ジョルジュ・スーラ(1859–1891)
制作期間1884年5月 – 1886年5月(約2年間)
技法油彩、キャンバス(点描法 / 分割主義)
サイズ207.6 cm × 308 cm
所蔵場所シカゴ美術館(The Art Institute of Chicago)ギャラリー240

画面を左から右へ眺めてみましょう。

木陰にくつろぐカップル、犬を連れた男性、ボートが浮かぶセーヌ川。中景には日傘をさした女性たち、走り回る子供。そして右前景には、シルクハットの紳士と日傘をさした威厳ある女性が、小さな猿を連れて立っています。

一見すると、19世紀パリの穏やかな休日風景。でも、この絵には教科書では見えてこない「裏の顔」が隠されているのです。

印象派に「NO」を突きつけた——科学で絵を描くという狂気

1880年代半ば、印象派は行き詰まりを感じていました。

モネやルノワールが追求した「瞬間の光」の描写は素晴らしかったものの、形がどんどん曖昧になり、構図も緩んでいく。それを横目で見ていた25歳の青年スーラは、こう考えました。

「感覚に頼るのはもうやめだ。科学の力で光を再現する。

スーラが傾倒したのは、二つの理論です。

一つは、フランスの化学者ミシェル=ウジェーヌ・シュヴルールが体系化した「色彩の同時対比の法則」。隣り合う色が互いに干渉して補色効果を強め合うという現象を、科学的に証明したものです。

もう一つは、アメリカの物理学者オグデン・ルードの著書『現代色彩学』。パレットの上で絵具を混ぜると色は必ず濁る(減法混色)が、光そのものを混ぜれば明るくなる(加法混色)。ルードはこの違いを明確に示しました。

図版: スーラのポートレート - 出典: Wikimedia Commons (Public Domain)
図版: スーラのポートレート – 出典: Wikimedia Commons (Public Domain)

スーラの発想は明快でした。パレットで絵具を混ぜなければいい。赤と青を混ぜて紫を作る代わりに、純粋な赤の点と純粋な青の点を隣同士に並べる。すると、鑑賞者の網膜の上で色が混ざり合い、パレットで混ぜるよりも遥かに鮮やかで振動するような光の効果が得られる——。

彼はこの技法を「色彩光線主義(クロモ=ルミナリズム)」と自ら名付けました。世間が「点描」と呼ぶ技法の、正式名称です。古代のパルテノン神殿の行列のように、「現代人を本質的な姿で、永遠の秩序の中に配置したい」。これがスーラの途方もない野心でした。

2年間、60点以上の習作——気の遠くなる制作プロセス

その野心を形にするために、スーラはほとんど修行僧のような生活を2年間続けました。

毎朝、パリから電車で約30分のグランド・ジャット島(セーヌ川に浮かぶ中洲)に向かい、木の下に座って光と影をスケッチする。午後はアトリエに籠もり、巨大なキャンバスに向かって、気の遠くなるような作業——小さな点を一つ一つ打っていく——を繰り返しました。

この大作のために制作された準備習作の数は、合計で60点以上

  • コンテ・クレヨンによる素描: 約28点
  • 油彩スケッチ(クロケトン): 約31点
  • キャンバス習作: 3点
図版: グランド・ジャット島のための習作 - 出典: Wikimedia Commons (Public Domain)
図版: グランド・ジャット島のための習作 – 出典: Wikimedia Commons (Public Domain)

さらに驚くのは、制作プロセスが3つの段階(キャンペーン)に分かれていたことです。

最初の段階(1884年)では、スーラはまだ印象派的な自由な筆触で描いていました。しかし、理論を深めるにつれ、パレットからアースカラー(黄土色や代赭色)を完全に追放。スペクトルの純粋な色だけを使い、画面全体を均一な「点」で覆い尽くす——という、制作途中での急進的なスタイル転換を行ったのです。

スーラは極度の秘密主義者でもありました。制作途中の作品を他人に見せることを嫌い、アトリエへの立ち入りを厳しく制限。友人のポール・シニャックですら、完成間近まで全体像を見せてもらえなかったといいます。恋人のマドレーヌ・クノブロックの存在さえ家族に隠していたほどですから、この2年間は文字通り孤独な闘争でした。

ちなみにこの作品には、「対になる絵」が存在します。前年に描かれた『アニエールの水浴』(ロンドン・ナショナル・ギャラリー所蔵)です。

同じセーヌ川の風景ですが、『アニエール』は川の左岸(工業地帯側)で水浴びをする労働者階級の男たちを描いています。一方、『グランド・ジャット島』は対岸の中洲で着飾ったブルジョワ階級を描いている。対岸から呼びかける少年の姿は、二つの階級の断絶と対話を象徴しているのではないか——と指摘する批評家もいます。ボッティチェリの『ヴィーナスの誕生』に見られるような数学的な黄金比とはまた異なる形で、スーラは科学的理性による構図の支配を追求したのです。

穏やかな公園に隠された「暗号」——猿、釣り、そして白い少女

さて、ここからがこの記事の核心です。

画面をもう一度、じっくり見てください。この「のどかな日曜日」は、見たままの平和な光景ではありません。

猿を連れた女性——「淫蕩」のシンボル

画面右前景の、日傘をさした威厳ある女性。彼女がリードで連れている小さな動物は、カプチーノモンキー(オマキザル)です。

19世紀のヨーロッパ絵画において、猿は伝統的に「淫蕩(lust)」「性的放縦」のシンボルでした。つまり、この女性は見かけほど上品な存在ではなく、隣のシルクハットの紳士に囲われた高級娼婦(ドゥミ・モンデーヌ)であることを暗示しているのです。

しかもスーラは、猿を背景に溶け込むように薄く描いています。まるで「わかる人にだけわかるように」仕込んだ暗号のように。

釣りをする女性——「男を釣る」

画面左側の水辺で、オレンジ色のドレスを着て釣竿を垂れている女性。

当時のフランス語で「釣る(pêcher)」という動詞は、「罪を犯す(pécher)」と発音がほぼ同じでした。さらに俗語として、「男を釣る(客を探す)」という意味も持っていたのです。彼女もまた、客を待つ娼婦の隠喩である可能性が高いと、研究者たちは指摘しています。

白い服の少女——唯一の「純真の目」

画面中央に立つ白い服の少女に目を向けてみてください。

周囲の大人たちとは全然違います。彼女だけが影に覆われておらず、輝くような光の中にいる。そして驚くべきことに、この巨大な画面の中で鑑賞者を真っ直ぐに見つめている数少ない人物の一人なのです。

大人たちの不道徳と社会的虚飾が支配するこの世界で、唯一の「純真無垢」。鑑賞者に対して「あなたは、この奇妙に静止した世界の正体が見えていますか?」と無言で問いかける——そんな役割を果たしているように見えます。

今見えている色は、スーラが描いた色ではない——亜鉛黄の悲劇

ここで、この作品にまつわる最大の悲劇をお伝えしなければなりません。

あなたが今、画面上で目にしている芝生の色。あの枯れたような茶色い草——実は、スーラが描いた本来の色とはまるで違うのです。

スーラは芝生のハイライトに、当時の新しい合成顔料である亜鉛黄(ジンク・イエロー)を使用しました。それは蛍光色に近い、目が覚めるような鮮やかなレモンイエローでした。陽光にきらめく芝生の明るさを表現するには完璧な色だったのです。

しかし、この顔料には致命的な欠陥がありました。

亜鉛黄は化学的に極めて不安定で、経年によってクロム酸イオンが重クロム酸イオンへと変化し、色が茶褐色(オーカーブラウン)へと変色してしまうのです。

図版: 作品のディテール - 出典: Wikimedia Commons (Public Domain)
図版: 作品のディテール – 出典: Wikimedia Commons (Public Domain)

この変色はスーラの存命中からすでに始まっており、彼自身もこの劣化に気づいていたとされています。若くして亡くなった彼は、自分の傑作が「本来の色を失っていく」のを見届けなければならなかったのです。同時代のゴッホも『星月夜』で顔料の科学的性質に翻弄されていますが、スーラの場合は「光を科学的に支配する」ことを目指した画家が、皮肉にも化学という科学に裏切られたという点で、いっそう痛ましい。

近年、デジタル画像処理技術によって「制作当初の色彩」をシミュレーションする試みが行われています。その結果を見ると、本来のこの絵がいかに鮮烈で眩しい色彩に満ちていたかがわかります。現在の落ち着いた色調は、スーラの意図とは異なる——化学という時間の力が書き換えてしまった、もう一つのドラマなのです。

「カーニバルの紙吹雪」「ブリキの兵隊」——1886年の大論争

1886年5月。この作品は、第8回印象派展で初めて公開されました。これは結果的に最後の印象派展となった歴史的な展覧会です。

ピサロの強力な推薦によってスーラの参加が認められましたが、モネやルノワールら初期メンバーはこの「科学的印象派」の侵入に猛反発し、展覧会をボイコットしました。

そして公開されたこの巨大な絵に対する反応は——凄まじいものでした。

嘲笑の嵐です。

批評家たちは、点描で描かれた画面を「カーニバルの紙吹雪が散らばっているようだ」と笑い飛ばしました。横向きに硬直した人物たちは「ブリキの兵隊」「自動人形」と揶揄され、「印象派が持っていた生の躍動が、この男の科学のせいで死んでしまった」と批判されたのです。

しかし、この作品の革新性を鋭く見抜いた人物がいました。批評家のフェリックス・フェネオンです。彼はスーラの新しい様式を定義するために、ある言葉を生み出しました。

「新印象派(Neo-Impressionism)」。

この言葉によって、印象派は「旧」になり、美術史は新しい章を開いたのです。

白い額縁の革命

もう一つ見逃せないのが、スーラの額縁へのこだわりです。

当時の美術界では、豪華絢爛な金色の額縁が標準でした。しかしスーラは、金の額縁が自作の繊細な色彩効果を台無しにすると考え、これを断固拒絶。代わりにシンプルな白い木製額縁を選びました。

さらに1889年には、画面の最外周に赤・オレンジ・青の点による「縁取り」を描き加え、絵画内部の色彩と物理的な額縁の間に視覚的な「緩衝地帯」を作り出しています。

長年にわたり様々な額縁で展示されてきましたが、シカゴ美術館は数年の学術調査を経て、2022年にスーラが当初意図した白い額縁を再制作・装着しました。現在、この絵はようやく画家が意図した姿で鑑賞できるようになっています。

フランスが失い、シカゴが死守する——門外不出の物語

この傑作には、作品そのものと同じくらいドラマチックな「来歴」があります。

1891年、スーラは31歳の若さで急逝します。死因は定かではありませんが、髄膜炎やジフテリアの可能性が指摘されています。残された巨大なキャンバスは遺族や友人たちの間を転々としました。

1920年代、シカゴの富裕な芸術収集家フレデリック・クレイ・バートレットと、その妻で詩人のヘレン・バーチ・バートレットがパリでこの作品に出会います。フランスの前衛芸術に深い造詣を持つヘレンの助言もあり、夫妻はこれを約2万ドルで購入しました。現在の価値に換算すれば数億ドルに相当する作品を、当時としては破格の安さで手に入れたことになります。

1926年、ヘレンの死後、フレデリックはこの作品を含むコレクションをシカゴ美術館に寄贈。以来、『グランド・ジャット島』はシカゴの至宝となりました。

フランスでは「なぜルーヴル美術館や政府がこの傑作を買わなかったのか」と、激しい後悔と非難の声が上がったと言います。フランス近代美術史における最大の損失の一つと見なされているのです。

1958年、MoMAの火災

そして、この作品を不動の「門外不出」にした事件があります。

過去に一度だけ、例外的にこの絵が館外に出たことがあります。1958年、ニューヨーク近代美術館(MoMA)への貸し出しです。

ところが、このまさに貸し出し期間中に、MoMAで火災が発生。展示室の近くまで火の手が迫り、作品は間一髪で避難させられました。

この出来事はシカゴ美術館の関係者を震撼させました。以降、「二度と外には出さない」という門外不出の方針が事実上確立されたのです。

この絵を見たければ、シカゴに行くしかありません。

フェリスの涙、ソンドハイムの和音——ポップカルチャーに生き続ける「永遠の日曜日」

500年前のミケランジェロやダ・ヴィンチの作品がパロディされるように、スーラのこの絵も現代の文化に深く浸透しています。

最も有名なのは、ジョン・ヒューズ監督の映画『フェリスはある朝突然に(Ferris Bueller’s Day Off)』(1986年)。登場人物のキャメロンがシカゴ美術館でこの絵の前に立ち尽くすシーンは、映画史に残る名場面です。

カメラは絵にズームインし、形が崩壊して無数の「点」になるまで近づいていく。キャメロンが自己の存在に対する不安と、点が集まって全体を成すことへの畏敬を同時に味わう——あの演出は、点描画という技法の本質を映像で見事に表現しています。

そしてもう一つ。ブロードウェイ・ミュージカル『Sunday in the Park with George(日曜日にジョージと公園で)』(1984年)。作詞・作曲スティーヴン・ソンドハイムによる傑作です。

スーラ(劇中名ジョージ)が、バラバラに存在する人物たちを指揮者のように配置し、完璧な和音(ハーモニー)とともに「絵画そのもの」を舞台上に再現する第1幕のクライマックスは、芸術創造の崇高さを見事に表現し、ピューリッツァー賞を受賞しました。

ほかにも、『ザ・シンプソンズ』や『ザ・オフィス』のパロディ、オハイオ州コロンバスには絵画の人物をトピアリー(植栽彫刻)で立体再現した公園まで存在します。

鑑賞ガイド:シカゴ美術館で見方が変わるポイント

もしシカゴ美術館のギャラリー240を訪れる機会があったら、ぜひ以下のポイントで鑑賞してみてください。

まず遠くから全体を見る→次にギリギリまで近づく
遠くから見ると穏やかな公園の風景。近づくと——景色が崩壊し、無数の色の点の洪水に変わります。「映画『フェリス』のキャメロン体験」をリアルに味わえるのは、この絵がある部屋だけです。

猿を連れた女性の「正体」を意識する
右前景の女性と紳士の関係を、猿の象徴を知った上で見つめ直してください。穏やかな風景が、途端に社会のリアルな一面を映し出す鏡に変わるはずです。

芝生の「本来の色」を想像する
茶色く見える芝生は、元は蛍光色のようなレモンイエローでした。頭の中でその色を復元してみてください。画面全体が驚くほど鮮やかで眩しい空間に生まれ変わるはずです。

白い額縁の意味を味わう
2022年に復元された白い額縁は、スーラが金の額縁を拒絶して選んだもの。絵画と現実世界の「境界線」をどう設計するか——スーラは額縁すらも作品の一部として計算していたのです。

白い服の少女の視線を追う
画面中央の少女だけが、あなたを見つめています。大人たちの秘密と虚飾の中で、彼女だけが真実を知っている——そんな気持ちになるかもしれません。

永遠の日曜日を描いた男は、31歳で旅立った

ジョルジュ・スーラは、才能が花開き始めたばかりの31歳で世を去りました。

「私は画家ではない。科学者だ」と言わんばかりの冷徹な方法論で、移ろいやすい「印象」を「永遠の秩序」に昇華させた男。彼が残した無数の点は、140年の時を超えてなお、私たちの網膜の上で静かに混ざり合い、かつて存在した鮮やかなレモンイエローの記憶とともに、光を放ち続けています。

フランスが失い、アメリカが守り抜いたこの傑作は、シカゴの壁の上で、今日もまた終わることのない「日曜日の午後」を静かに繰り返しているのです。

コメント

タイトルとURLをコピーしました