あなたは今、パリのルーヴル美術館にいます。
分厚い防弾ガラスの向こう、無数のスマホと自撮り棒の隙間から、やっと「彼女」が見えました。
「……あれ? 意外とちっちゃい?」
正直、そう思いませんでしたか?
宝石もつけていない。豪華なドレスでもない。背景はなんだか薄暗い。
なぜ、この地味な女性の絵が「世界一の名画」と呼ばれているのでしょうか?

出典: Leonardo da Vinci, Public domain, via Wikimedia Commons
実は、モナ・リザがこれほどのスーパースターになったのは、芸術的な理由だけではありません。
そこには、世界を巻き込んだ「大事件」と、天才レオナルド・ダ・ヴィンチが仕掛けた「脳を騙す科学トリック」、そして最新科学がようやく暴き始めた「隠された真実」が絡み合っているのです。
今回は、500年の時を超えて私たちを翻弄し続ける「モナ・リザ」の謎を、歴史ミステリーと最新科学の視点から解き明かしていきます。
| 項目 | 詳細 |
|---|---|
| 作品名 | モナ・リザ(ラ・ジョコンダ) |
| 作者 | レオナルド・ダ・ヴィンチ |
| 制作年 | 1503年〜1519年(死の直前まで加筆) |
| 技法 | ポプラ板に油彩 |
| サイズ | 77 cm × 53 cm |
| 所蔵 | ルーヴル美術館(パリ)ドノン翼 |
彼女をスターにしたのは「泥棒」だった?
いきなり夢のない話をしますが、モナ・リザが「世界一有名」になった最大のきっかけは、皮肉にも「盗まれたこと」でした。
ルーヴルから消えた日
1911年8月21日、月曜日。休館日のルーヴル美術館から、モナ・リザが忽然と姿を消しました。
犯人は、ヴィンチェンツォ・ペルージャというイタリア人の鏡職人。彼はこう語っています。

出典: Vincenzo Peruggia (1911), Public domain, via Wikimedia Commons
「ナポレオンに奪われたイタリアの至宝を、祖国に取り戻すためだ!」
……実はこれ、彼の完全な勘違いでした。モナ・リザはナポレオンが略奪したものではなく、フランス王フランソワ1世がレオナルド本人から正当に購入したものです。
しかし、この「愛国的な泥棒」による事件は、予想外の形で世界を揺るがします。
ピカソまで疑われた大騒動
この事件には、思わぬ余波がありました。
フランス警察は捜査の過程で、前衛芸術家のギヨーム・アポリネールを逮捕。すると彼はなんと、友人のパブロ・ピカソの名前を供述したのです。
ピカソは警察に連行され、事情聴取を受ける羽目に。
結果的に二人とも無関係であることが判明しましたが、当時無名だったピカソの名前が新聞に載ったことで、皮肉にも彼自身の知名度向上にも一役買ったとされています。
「ない」を見るための行列
翌日の新聞は、このニュースを一面トップで報じました。
「消えたモナ・リザ!」「犯人は誰だ?」。連日の報道合戦により、それまで「知る人ぞ知る名画」だったモナ・リザの顔写真が、世界中に拡散されたのです。
さらに皮肉なことに、美術館が再開されると「モナ・リザがなくなった、空っぽの壁」を一目見ようと、かつてないほどの群衆が押し寄せました。
2年後に絵が無事に戻ってきたとき、彼女はすでに「世界で最も有名な顔」になっていたのです。
もしこの事件がなければ、モナ・リザは今でも「美術教科書の1ページ」に収まる存在だったかもしれません。
なぜ「怖い」と言われるのか? 脳を騙す微笑みの正体
「モナ・リザと目が合うと、見透かされているようで怖い」
「笑っているようで、笑っていない気がする」
そんなふうに感じたことはありませんか?
実はその感覚、正解です。レオナルド・ダ・ヴィンチは、意図的に「捉えどころのない表情」を作り出しました。
30層の「空気」を塗り重ねる
レオナルドが使ったのは、スフマート(Sfumato)という技法です。
イタリア語で「煙のように消える」という意味を持つこの技法は、輪郭線を一切描かず、色と色の境界を徹底的にぼかすものです。
近年の蛍光X線分析によると、彼はわずか1〜2マイクロメートル(髪の毛の太さの50分の1)という極薄の絵具を、30層以上も塗り重ねていました。
気の遠くなるような作業によって作られた「人工の皮膚」は、光を受け止め、複雑な影を落とします。

出典: Leonardo da Vinci, Public domain, via Wikimedia Commons
(スフマート技法により、目尻や口角の輪郭線が曖昧にぼかされている)
「笑い」は逃げていく
ハーバード大学の神経生物学者マーガレット・リヴィングストン博士は、この微笑みの仕組みを「人間の視覚機能のバグ」を利用したものだと分析しています。
- 周辺視野(視野の端)で見ると…
網膜の周辺部分は「ぼんやりした影」を拾うのが得意です。モナ・リザの口元の陰影が強調され、口角が上がって笑っているように見えます。 - 中心視野(直視)で見ると…
「笑ってる?」と思って口元を凝視すると、解像度の高い中心視野がスフマートの細かいグラデーションを捉えます。すると陰影の魔法が解け、真顔に近い表情に見えてしまうのです。
つまり、見れば見るほど、微笑みはフッと消えてしまう。
「笑っているのに笑っていない」という不気味な感覚は、レオナルドが500年前に仕掛けた脳科学的なトリックだったのです。
決して納品されなかった「未完の実験記録」
もう一つ、この絵には大きな謎があります。
それは、「依頼主の手に一度も渡らなかった」という事実です。
終わらない加筆の旅
依頼主はフランチェスコ・デル・ジョコンドというフィレンツェの商人。
妻のリザの肖像画を頼んだはずなのに、レオナルドはこの絵を抱えてミラノへ、ローマへ、そして最期はフランスへと旅を続けました。
なぜ、お金をもらって納品しなかったのか?
答えはシンプルです。「まだ完成していないから」。
彼は死ぬ直前まで、麻痺した手で筆を握り、この絵に加筆を続けました。
彼にとってモナ・リザは、単なる肖像画ではなく、「人体と自然の神秘を解明するための実験ノート」だったのかもしれません。
ダ・ヴィンチは化学者だった?
2024年、驚くべきニュースが飛び込んできました。
絵画の最下層から、「プランボナクライト」という珍しい鉛化合物が検出されたのです。
これは、油絵具を早く乾かし、厚塗り(インパスト)を可能にするための添加剤として使われます。
しかし、この技法が一般的になるのは17世紀のレンブラントの時代。レオナルドは100年以上も先に、独自に化学実験を行い、この「魔法のレシピ」を開発していたのです。
スフマートの繊細なぼかしも、プランボナクライトによる油の制御があったからこそ実現できたのかもしれません。
「双子のモナ・リザ」が教えてくれること
ところで、プラド美術館(スペイン)には、モナ・リザの「双子」が存在するのをご存じですか?

出典: Museo del Prado, Public domain, via Wikimedia Commons
(プラド美術館のコピー版。洗浄により、制作当時に近い鮮やかな色彩が残っている)
レオナルドの弟子がアトリエで隣に座り、師匠と同時に描いたとされるこのコピー。
洗浄によりオリジナルよりも良好な状態が保たれており、赤い服、青い空、鮮やかな肌の色がはっきりと見えます。
つまり、ルーヴルの「本物」は、500年の歳月で本来の姿からかけ離れてしまっている可能性が高いのです。
あの暗い色合いが醸し出す「ミステリアスな雰囲気」は、実はレオナルドが意図したものではなく、時間が塗り重ねた偶然の産物だったのかもしれません。
科学が暴く「もう一つの顔」
モナ・リザの謎は、科学技術の進歩とともに「今この瞬間も」更新され続けています。
ここでは、近年の調査で明らかになった、教科書にはまだ載っていない「新事実」をご紹介します。
消えた眉毛の真相
「モナ・リザには眉毛がない。だから不気味に見える」——これは長年、この絵画の「神秘性」を説明する定番のポイントでした。
ところが、フランスの技術者パスカル・コットがマルチスペクトルカメラ(肉眼では見えない波長の光で撮影する装置)を使って分析したところ、眉毛の痕跡がはっきりと見つかったのです。
レオナルドはちゃんと眉毛を描いていました。
消えてしまった原因は、過去に行われた不適切な洗浄作業。何世紀もの間に繰り返された「お手入れ」が、繊細なディテールを削り取ってしまったのです。
「眉毛のない神秘的な女性」は、意図されたものではなく、歴史のイタズラでした。
背景の場所が特定された?
モナ・リザの背景に広がる、うねる道と岩山の風景。
長年、「レオナルドの想像上の風景だ」と考えられてきました。
ところが2024年、地質学者のアン・ピッツォルッソが衝撃的な論文を発表します。
背景の岩山の地質学的特徴——石灰岩の層や水辺の構造——が、イタリア北部ロンバルディア州のレッコ、コモ湖畔の実在の風景と一致するというのです。
もちろん対立する説もあります。2023年にはトスカーナ州の「ロミート橋」だという主張もありました。
決着はまだついていませんが、500年間「架空」だと思われていた背景が、実在する場所かもしれない。この可能性だけでもゾクゾクしませんか?
隠された「もう一人の彼女」
さらに興味深いのが、下絵の存在です。
科学分析によって、現在の絵の下に別の構図が隠されていることがわかりました。
初期の段階では、モナ・リザの頭はもっと大きく、ヘアピンをつけていた痕跡があります。
つまりレオナルドは、最初に描いた構図を気に入らず、何度も修正を加えていた。完成品の下には、彼の試行錯誤のプロセスが地層のように積み重なっているのです。
「完成した名画」ではなく、「終わらなかった実験の記録」。
それがこの絵の、もう一つの本質なのかもしれません。
5. ルーヴルでさらに楽しむ3つのポイント
最後に、もしあなたがルーヴル美術館で、人波をかき分けて最前列にたどり着いたなら。
スマホ連写の合間に、ぜひこの3点を目に焼き付けてください。
① 「手」の解剖学
顔だけでなく、手に注目してください。
右手を左手の上にふわりと重ねた形。骨の存在を感じさせる正確さと、皮膚の柔らかさが同居しています。美術解剖学を極めたレオナルドの真骨頂です。
② 「背景」の左右
背景の風景をよく見ると、左側の方が地平線が低く、右側が高いことに気づくはずです。
視線が左から右へ移動するとき、無意識に視線が持ち上がり、モナ・リザの姿が実際よりも大きく、堂々として見えるように計算されています。
③ そして、後ろを振り返れ
これが一番の「通」な楽しみ方です。
モナ・リザに背を向けて、振り返ってみてください。
そこには、ルーヴル美術館で最も巨大な絵画、パオロ・ヴェロネーゼの『カナの婚礼』(縦6.7m × 横10m)が壁一面を覆っています。

出典: Paolo Veronese, Public domain, via Wikimedia Commons
- 静寂のモナ・リザ(小) vs 喧騒のカナの婚礼(大)
- たった一人の女性 vs 130人の大宴会
そして何より皮肉なのは、世界中から集まった観光客が、この巨大な宴会の絵にお尻を向けて、小さなモナ・リザにスマホを向けている光景です。
『カナの婚礼』の中に描かれたキリストや群衆は、その現代の狂騒を、冷ややかに見つめているようにも見えます。
この空間全体の皮肉なコントラストこそが、現代における「モナ・リザ現象」の完成形なのかもしれません。
500年経っても、彼女はまだ謎だらけです。
眉毛が描かれていた痕跡が見つかったり、背景の場所が特定されかけたり、科学が進歩するたびに新しい顔を見せてくれます。
次に彼女と目が合ったとき、あなたはそこにどんな「微笑み」を見つけるでしょうか?
それはきっと、あなたの脳が生み出した、あなただけの秘密の表情なのです。
「北方のモナ・リザ」の秘密
モナ・リザに匹敵する魅惑的な微笑みを持つもう一人の女性がいます。フェルメールの《真珠の耳飾りの少女》。2026年夏、彼女が14年ぶりに日本にやってきます。


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