クリムト《接吻》解説。国が「未完成」で買い上げた起死回生の一撃

象徴主義

接吻 (The Kiss) (1907-1908) Gustav Klimt
出典: Wikimedia Commons (Google Cultural Institute) (Public Domain)

1908年、ウィーン。
一人の画家が、文字通り「崖っぷち」に立たされていました。

彼の名は、グスタフ・クリムト

かつては若手のホープともてはやされた彼ですが、ある事件をきっかけに世間は掌を返しました。「醜悪」「芸術の敵」と罵られ、国からのプロジェクトを降板させられ、芸術家としての信用は地に落ちていたのです。

「もう私の絵なんて、誰にも理解されないのではないか?」

猫を抱くグスタフ・クリムト (1912)
図版: アトリエの前で愛猫を抱くクリムト。このスモック姿が彼のトレードマークだった。出典: Wikimedia Commons (Public Domain)

そんな絶望的な孤立の中で、彼が世界に叩きつけた起死回生の一撃。
それが、あの《接吻》(The Kiss)でした。

伝説はこう続きます。
なんとこの絵は、展覧会の初日に、まだ「未完成」の状態だったにもかかわらず、オーストリア政府によって現在の価格で数億円という超高額で買い上げられたのです。

なぜ、嫌われ者の「未完成」の絵が、一夜にして国の至宝へと大逆転できたのか?

その金色の輝きの裏には、スキャンダルへの強烈な意趣返しと、最新科学、そしてなんと日本の「あの画家」の影響が隠されていました。

これは単なる「ロマンチックな絵」ではありません。人生のどん底から這い上がろうとした男の、魂のカウンターパンチなのです。

30秒でわかる《接吻》基本データ

まずは、この作品のプロフィールをざっと押さえておきましょう。

項目データ
作品名接吻(ドイツ語:Der Kuss)
作者グスタフ・クリムト
制作年1907年 – 1908年(クリムト45歳頃)
技法油彩、金箔、銀箔、プラチナ箔
サイズ180 cm × 180 cm
所蔵オーストリア・ギャラリー(ベルヴェデーレ宮殿)

実はこの絵、完全に正方形(スクエア)なんです。しかも180cmという巨大な画面。
大人の男性が両手を広げても収まらないほどの「金色の壁」が、目の前にドーンと立ちはだかる迫力。実物を前にすると、絵を見ているというより、黄金の光に包まれるような感覚に陥ります。

制作秘話:スキャンダル塗れの「金色の逆襲」

少し時計の針を戻しましょう。《接吻》が描かれる数年前、クリムトは「ウィーン大学天井画事件」という大スキャンダルの渦中にいました。

国から「大学の講堂に、学問の勝利を称える絵を描いてくれ」と頼まれたクリムト。しかし彼が提出したのは、老いた肉体や死、絡み合うエロスが入り混じったドロドロの人間ドラマでした。

これを見た教授や市民たちは激怒しました。
「神聖な大学になんてものを飾るんだ!」
「これは芸術ではない、醜悪なわいせつ画だ!」

医学 (Medicine) (1900-1907) Gustav Klimt
図版: 『医学』(1945年焼失)。多くの裸体が浮遊する表現が「醜悪」と批判された。出典: Wikimedia Commons (Public Domain)

連日のバッシングに嫌気が差したクリムトは、なんと受け取った報酬を全額突き返し、「もう二度と国の仕事はしない。大衆のためには描かない」と宣言。アトリエに引きこもってしまいます。

そうして生まれたのが、この《接吻》でした。

黄金様式(ゴールデン・スタイル)の頂点

この時期、クリムトは「金」を多用する「黄金様式」と呼ばれるスタイルを確立していました。
その代表作が、同時期に描かれた『アデーレ・ブロッホ=バウアーの肖像 I』です。

アデーレ・ブロッホ=バウアーの肖像 I (1907) Gustav Klimt
図版: 『アデーレ・ブロッホ=バウアーの肖像 I』。モデルの顔と手以外は完全に黄金の装飾で埋め尽くされている。出典: Wikimedia Commons (Neue Galerie) (Public Domain)

この肖像画も素晴らしいですが、《接吻》が特別なのは、ここに描かれているのが特定の個人(パトロン)ではなく、「愛そのもの」という抽象的な概念だからです。クリムトは、生身の人間を黄金の中に閉じ込めることで、肉体の儚さを超えた「永遠の愛」を描き出そうとしたのです。

クリムトは考えました。
「俗世間の批判など知ったことか。私を理解できる、少数の人のためだけの『聖域』を作ろう」

彼は、批判の的だった「生々しい裸体」を、豪華絢爛な金色の装飾ですっぽりと覆い隠しました。するとどうでしょう。あれほど彼を「低俗だ」と攻撃していた人々が、その圧倒的な美しさに息を呑み、沈黙したのです。

「未完成」での買い上げ

1908年の展覧会。まだクリムトが筆を入れている最中だったにもかかわらず、オーストリア政府はこの絵を25,000クローネで購入を即決しました。これは当時の絵画史上、破格の最高額でした。

「国の恥」と呼ばれた画家が、実力だけで国をねじ伏せ、認めさせた瞬間。
まさに、起死回生の逆転劇です。

なぜこんなに「金ピカ」なのか? 日本との意外な接点

クリムトといえば「金」ですが、なぜ彼はこれほど執拗に金を使ったのでしょうか?
実はこれ、単なる豪華さの演出ではありません。彼が「あるもの」に憧れた結果なのです。

それが、日本の「琳派(Rinpa)」です。

クリムトは熱烈な日本美術コレクターでした。彼のアトリエには浮世絵や着物があふれていたといいます。中でも彼が愛したのが、尾形光琳に代表される琳派の金屏風でした。

紅白梅図屏風 (Red and White Plum Blossoms) (18th century) Ogata Kōrin
図版: 尾形光琳『紅白梅図屏風』。金地の背景と流水の装飾的な表現。出典: Wikimedia Commons (Google Art Project) (Public Domain)

金屏風を思い出してみてください。背景は金一色で、奥行きがなく、デザイン的ですよね。
クリムトは、西洋美術の常識だった「リアルな奥行き(遠近法)」を捨て、日本の「平面的で装飾的な美」を取り入れたのです。

さらに、彼は画家でありながら、父の職業でもあった「金細工師」の技術を使い、キャンバスに本物の金箔、銀箔、プラチナ箔を貼り付けました。

《接吻》が私たち日本人の心にスッと入ってくるのは、そこに日本のDNA(琳派の美意識)が流れているからかもしれません。もしかするとこの絵は、ウィーン生まれの「金屏風」なのかもしれませんね。


隠された意味:ジェンダーと「科学」

この絵、ただ抱き合っているだけに見えますが、実は「男女の違い」が強烈にデザイン化されています。服の柄に注目してください。

  • 男性(左): 白と黒の「四角形(長方形)」。硬さ、論理、力強さ。
  • 女性(右): カラフルな「円形(水玉・花柄)」。柔らかさ、感情、直感。

カクカクした「男」と、フワフワした「女」。対照的な二人が抱き合うことで、一つの巨大な黄金のシルエット(男性的な力強さの象徴とも言われます)に融合しています。これは「愛による完全な調和」のシンボルです。

まさかの「精子と卵子」説!?

さらに、近年の研究で驚くべき説が浮上しました。
当時のウィーンは医学の最先端都市。クリムトも顕微鏡で細胞を見るのが好きだったと言われています。

もう一度、服の柄をよく見てみてください。
男性の四角形の中にある小さな模様……これ、顕微鏡で見た「生命の種(精子)」の動きに似ていませんか?
女性の服の丸い模様……これは「卵細胞」、赤い丸は「赤血球」に見えませんか?

もしそうなら、この絵は単なるキスシーンではなく、「受精」=「生命誕生の瞬間」を描いた、壮大な生物学的アートなのかもしれません。ロマンチックな絵だと思っていたら、急に科学の実験室に見えてきませんか?

永遠の謎:モデルは誰なのか?

この絵の二人が誰なのか、実はクリムト自身は明言していません。しかし、有力な説がいくつかあります。

説1:クリムト自身と、最愛の女性エミーリエ・フレーゲ

最も広く信じられているのがこの説です。
クリムトは生涯独身を通しましたが、エミーリエ・フレーゲというデザイナーの女性と、プラトニックなパートナー関係を続けていました。彼女はクリムトの精神的な支えであり、ミューズでした。

エミーリエ・フレーゲの肖像 (1902) Gustav Klimt
図版: 『エミーリエ・フレーゲの肖像』。彼女自身も前衛的なファッションデザイナーであり、クリムトの装飾的な衣装デザインにも影響を与えたと言われる。出典: Wikimedia Commons (Public Domain)

この説が支持される理由は、《接吻》の女性が身につけている幾何学模様のドレスが、エミーリエのデザインした服に似ているからです。しかし、クリムトは「自分自身を描くことには興味がない」と語っていたため、否定的な意見もあります。

説2:赤毛のヒルダ、あるいは他のモデルたち

クリムトのアトリエには常に数人のモデルが裸で歩き回っていたといいます(なんと羨ましい…いや、自由な環境)。その中の誰か、あるいは複数の女性のイメージを合成した「理想の女性像」なのかもしれません。

誰か特定の人ではないからこそ、世界中の誰もがこの絵に自分自身を投影し、感情移入できるのです。

もうひとつの《接吻》:ベートーヴェン・フリーズ

実はクリムトは、この絵を描く少し前に、もう一つの「キス」を描いています。
それが、第14回ウィーン分離派展のために制作された壁画『ベートーヴェン・フリーズ』の最後の一場面です。

ベートーヴェン・フリーズ(接吻部分) (1902) Gustav Klimt
図版: 『ベートーヴェン・フリーズ』より「全世界への接吻」。裸の男女が抱き合っている。出典: Wikimedia Commons (Public Domain)

こちらでは、男女は黄金の繭(まゆ)のようなものに包まれず、生身の姿で抱き合っています。
これと比較すると、《接吻》がいかに「肉体を隠す」ことに意識的だったかが分かります。
スキャンダルを経て、クリムトは「露骨なエロス」を「黄金の聖域」の中に封じ込め、より高貴で精神的なものへと昇華させたのです。

クライマックス:なぜ二人は「崖っぷち」にいるのか?

最後に、この絵の最大のミステリーに触れましょう。
二人の足元です。

色とりどりの花が咲く草原は、二人のすぐ後ろで唐突に途切れ、その先は断崖絶壁になっています。

なぜ、愛の絶頂に「崖」を描いたのか?

女性の足の指を見てください。崖の縁を、ギュッと掴むように曲げられています。これは、愛の喜びに震えているようにも見えますが、「落ちまい」と必死に耐えているようにも見えます。

ここには2つの解釈があります。

  1. 「愛と死(エロスとタナトス)」:これほど強い愛は、死と隣り合わせであるという警告。当時の世紀末ウィーンに漂っていた「滅びの予感」です。
  2. 「現実からの浮遊」:二人の愛の力が強すぎて、重力のあるこの現実世界から、黄金の異次元へと浮び上がろうとしている。

私は、クリムト自身の状況(画家としての崖っぷち)を重ねずにはいられません。
世間から爪弾きにされ、孤独な崖っぷちに立っていたクリムト。しかし彼は、そこで絶望に膝を屈するのではなく、「美」という黄金の翼で崖から飛び立とうとしたのではないでしょうか。

ベルヴェデーレ宮殿で「本物」を見るなら

もしあなたがウィーンへ行き、本物の《接吻》の前に立つ機会があったら、ぜひ「横」から見てみてください。

写真では分かりませんが、本物は金箔の厚みでボコボコしています。
照明の加減で、男性の肩の金と、背景の金が違うスピードでキラキラと輝き、まるで二人が呼吸しているように見えます。それは印刷物では絶対に味わえない体験です。

「崖っぷちでも、美しさがあれば飛べる」

スキャンダルを乗り越えたこの黄金の輝きは、そんな勇気を私たちに与えてくれる気がします。

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