体操選手が木によじ登って描いた鳥の絵。リリエフォッシュ《カケス》に隠された「狂気の制作プロセス」

北欧美術
図版: ブリューノ・リリエフォッシュ《カケス》(1886) - 出典: スウェーデン国立美術館 / Wikimedia Commons (Public Domain)
図版: ブリューノ・リリエフォッシュ《カケス》(1886) – 出典: スウェーデン国立美術館 / Wikimedia Commons (Public Domain)

スウェーデン国立美術館の壁に、一枚の鳥の絵がかかっています。

縦51センチ、横66センチ。画面の中で、1羽のカケスが嘴を限界まで開き、ありとあらゆる力を振り絞って叫んでいます。「逃げろ!」——その声が聞こえてきそうなほどの迫力です。

この絵を描いた画家の名前は、ブリューノ・リリエフォッシュ。日本ではほとんど知られていません。

しかし、この男の正体を知ったら、あなたはこの絵の見え方が一変するでしょう。なにしろ彼は画家でありながら、王立歌劇場でアクロバットを披露するエリート体操選手だったのですから。

しかも制作方法が常軌を逸しています。自らの驚異的な身体能力を駆使してスウェーデンの高木によじ登り、枝の間にカモフラージュした隠れ家を構築。何時間も息を潜めて野生の鳥を至近距離から観察し、さらには剥製を森の枝にワイヤーで固定して自然光の変化をシミュレーションするという、ほとんど狂気としか言いようのないプロセスでこの一枚を仕上げたのです。

1886年。139年前に描かれたこの「鳥の絵」の裏に隠された、驚愕の制作プロセスと知られざるドラマをお話しします。

作品の基本データ

項目詳細情報
作品名カケス(原題: Nötskrikor / 英題: Jays)
作者ブリューノ・リリエフォッシュ(Bruno Liljefors, 1860–1939)
制作年1886年
技法油彩、カンヴァス
サイズ51.0 cm × 66.0 cm
所蔵場所スウェーデン国立美術館(Nationalmuseum, Stockholm)

画面を見てみましょう。

手前の枯れ枝に止まった1羽のカケスが、外敵の気配を察知し、嘴を限界まで大きく開いて激しい警告の鳴き声(アラームコール)を発しています。首の筋肉は緊張で収縮し、羽をわずかに浮かせていつでも飛び立てる態勢。

一方、画面奥ではもう1羽のカケスがすでに羽を広げ、深い森の奥へと飛び去ろうとしている。まるでハイスピードカメラのシャッターを切ったかのような、自然界の「凍りついた一瞬」です。

エリート体操選手が森の高木によじ登る——常人離れした制作プロセス

この絵の最大の秘密は、画家その人の「正体」にあります。

リリエフォッシュは、イーゼルの前に静かに座っているだけのアトリエ画家ではありませんでした。驚くべきことに、彼はスウェーデン国内で活躍するエリート体操選手(varietéartist)であり、平行棒などを得意とし、王立歌劇場などの舞台でアクロバットを披露するほどの身体能力の持ち主だったのです。

この類まれな運動神経が、絵画制作の最大の武器になりました。

《カケス》における視点を見てください。この絵は、人間の目の高さから見上げたものではありません。明らかに鳥たちと同じ樹上の目線に近い水平アングルで捉えられています。

なぜそんなことが可能だったのか。答えは単純です。彼が本当に木に登ったからです。

図版: リリエフォッシュの別作品(自然の中の動物画) - 出典: Wikimedia Commons (Public Domain)
図版: リリエフォッシュの別作品(自然の中の動物画) – 出典: Wikimedia Commons (Public Domain)

リリエフォッシュは自らの身体能力を駆使して森の高木に登り、葉や枝の間に巧妙なカモフラージュを施した隠れ家(ブラインド)を構築しました。その極端な高所の足場に何時間も息を潜め、野生の鳥たちの生態を至近距離から観察し続けたのです。

さらに彼は、自宅の敷地に広大な自作の「動物園」まで設けていました。キツネ、アナグマ、ウサギ、フクロウ、ワシ——森の生態系を構成する多様な動物たちを自ら飼育し、筋肉の微細な収縮や、羽ばたく際の骨格の動きを日常的に観察していたのです。

森に「剥製」を設置する——自然光シミュレーションの狂気

しかし、木に登って観察するだけでは限界があります。絶えず動き回り、人間に対して強い警戒心を抱く野生のカケスを、油彩で克明に描き出すことは、記憶やスケッチだけでは到底完結しません。

そこでリリエフォッシュがとった手段は、現代の映画制作における特殊撮影にも通じる、狂気的とも言える執念深いものでした。

彼は実際の鳥の「剥製」を利用しました。ただし、アトリエの机の上に置いて描いたわけではありません。わざわざ剥製を野外の自然環境に持ち出し、実際の森の枝にワイヤーで固定して配置したのです。

なぜそこまでするのか。

それは、スウェーデンの森特有の冷たい自然光(外光)がカケスの複雑な羽毛にどのように当たり、時間帯によって風合いや陰影がどう変化するのかを、生息環境そのものの中で完璧にシミュレーションするためでした。

飼育動物からの「生きた躍動感」と、野外に固定した剥製からの「光と質感の科学的な正確さ」。この2つのアプローチを執念深く融合させることで初めて、1枚のカンヴァスに「生命の瞬間」が練り上げられたのです。

1886年に「ポートレートモード」を先取りした男

ここで、画面をもう一度じっくり見てください。あることに気づきませんか。

手前の枯れ枝に止まったカケスには、頭部の繊細な羽毛の一本一本、嘴の質感、足の爪の鋭さに至るまで、驚異的なまでにシャープなピントが合っています。

一方で、画面奥へ飛び立とうとしているもう1羽のカケスや、その背後に広がる森の木々は、意図的に輪郭がふんわりとぼやけて描かれている。

これ、見覚えがありませんか?

そうです。現代のスマートフォンの「ポートレートモード」で撮影した写真と、まったく同じ視覚効果です。

一眼レフカメラの望遠レンズで野生動物を撮影したときに見慣れている、背景が美しくボケるあの効果——被写界深度(Depth of field)の意図的な操作を、リリエフォッシュは1886年の油彩画において、すべて手作業で実装していたのです。

しかも当時は、カメラの性能がまだまだ未熟な時代。森の暗がりで高速で飛び立つカケスの羽ばたきや、敵を警戒して嘴を限界まで開いた一瞬の表情を、鮮やかな色彩と完璧なピントで記録することは、当時の写真技術では物理的に不可能でした。

スーラが同じ1886年に「点描」という科学的技法を発明したのと同時代に、北欧の森では別の画家が「カメラにできないことを絵画で証明する」という、もう一つの革命を静かに遂行していたのです。

浮世絵の「余白」が北欧の森にたどりついた

もう一つ、この絵の構図にはとんでもない秘密が隠されています。

西洋の伝統的な動物画では、主題を画面の中央に配置し、左右対称に近い安定した構図をとるのが定石でした。

しかし《カケス》を見てください。太く力強い枯れ枝が画面の右下から対角線を鋭く横切り、主役の鳥たちは画面の右半分に意図的に偏らされている。左側や上部には、何も描かれていない「余白」が大胆に広がっている。

この構図、どこかで見覚えがありませんか。

日本の花鳥画です。

図版: カケスの作品の構図参考 - 出典: Wikimedia Commons (Public Domain)
図版: カケスの作品の構図参考 – 出典: Wikimedia Commons (Public Domain)

19世紀後半、ヨーロッパの芸術家たちを熱狂の渦に巻き込んだ「ジャポニスム(日本趣味)」。浮世絵や花鳥画の大胆な構図——余白の力、対角線による動きの演出、主題の非対称な配置——が、パリのアートシーンを席巻していました。

モネが『睡蓮』で日本の庭園に傾倒したのと同じ時代の潮流の中で、リリエフォッシュもまた、日本の美学の核となる構図の力を自らのカンヴァスに取り入れました。その結果、西洋絵画の窮屈で人工的な枠組みは見事に打ち壊され、鑑賞者の視線は枯れ枝の対角線に導かれるように、叫ぶカケスから逃げるカケスへ、そして森の深い奥行きへと自然に流れていくのです。

「反対派」の反逆の旗——26歳の宣言

1886年というこの年は、スウェーデン美術史において巨大な地殻変動が起きた「革命の年」でもありました。

当時、国内の美術界を支配していたスウェーデン王立美術アカデミーは、神話画や宗教画、歴史画といった「高尚な絵画」のみを重んじていました。画家が自国のありふれた風景や野生動物をそのまま描くことは、低俗な行為として軽視されていたのです。

これに対し、フランスへの留学から帰国した若きスウェーデンの芸術家たちは、明確な反旗を翻しました。「目の前にある自然の真実を描くことこそが芸術だ」と訴え、「芸術家協会(通称「反対派 / The Opponents」)」を結成。26歳のリリエフォッシュも、この急進的な運動の創設メンバーとして名を連ねています。

つまり、《カケス》は単なる美しい鳥の絵ではありません。この作品は、「高尚な神話の女神や英雄などを描かずとも、スウェーデンの名もなき森で一羽のカケスが警告の鳴き声を上げるその瞬間こそが、至高の芸術だ」という、古い美術界に対する若き反逆の宣言そのものだったのです。

ちなみにリリエフォッシュには、同時代に活躍した2人の盟友がいます。肉感的な女性像や肖像画で国際的名声を確立したアンデシュ・ソーン(Anders Zorn)、そして明るく牧歌的な家庭生活を描いたカール・ラーション(Carl Larsson)。頭文字をとって「ABCトリオ」と呼ばれるスウェーデン美術黄金期の3巨匠です。

ソーンやラーションが人間社会や平和な家庭を描いて大衆的な人気を博したのに対し、リリエフォッシュは「食うか食われるか」の生存競争を妥協なく描き続けました。ゴッホが『星月夜』で自然の渦を描いたのとはまた異なる形で、この画家は自然界の残酷な真実を直視することを選んだのです。

100年間、国立美術館の壁に飾られなかった名画

さて、ここで一つ驚くべき事実をお伝えします。

この《カケス》が、スウェーデン国立美術館の公式コレクションとして正式に収蔵されたのは、制作年である1886年から実に100年後の1986年のことです。

「国立美術館友の会」からの寄贈という形をとって、100年もの歳月を経てようやく「国の至宝」としての居場所を得たのです。

この事実は、当時の「反対派」が生み出した前衛的な自然主義の作品が、保守的な王立アカデミーの体制にいかに受け入れられにくかったかを物語る象徴的なエピソードです。神話画や歴史画の壮大な世界に比べれば、森のカケスの絵など「取るに足らないもの」だったのでしょう。

しかし139年後の現在、ソーンやラーションの作品と並んで、国立美術館で最も注目を集める北欧美術の傑作の一つとなっています。なんとも痛快な逆転劇です。

なぜ「カケス」だったのか——「森の警報器」の霊的な意味

最後に、一つの問いに答えておきましょう。数多くの鳥の中で、なぜリリエフォッシュは「カケス」を選んだのか。

もちろん、赤褐色と黒、そして翼の付け根に散る鮮やかな青のコントラストは、色彩的に申し分ない魅力があります。しかし理由はそれだけではありません。

カケスはカラス科に属する非常に知能の高い鳥で、他の鳥の鳴き声や哺乳類の声、さらには人間が発する音まで巧妙に真似る能力を持っています。そして森の中で異変(たとえばハンターの侵入)が起きると、いち早くそれを察知し、けたたましい声で鳴き騒ぐ。

スウェーデンの民間伝承やハンターたちの間では、カケスは古くから「森の警報器」として知られていました。

しかし、その警戒心の強さや狡猾さゆえに、時には「魔術や予言の象徴」、あるいは「死や破滅をもたらすメッセンジャー」という不吉なイメージで語られることもあったのです。カケスの羽に混じる神秘的な「青い羽」は、真実や洞察力の象徴として、スカンジナビアの先住民族であるサーミ人のシャーマニズムにおいて霊的な装飾品に重用されてきた歴史があります。

こうした背景を踏まえると、リリエフォッシュがカンヴァスに定着させた「口を大きく開けて警告するカケス」は、単なる鳥の生態スケッチの域を超えています。森という聖域に足を踏み入れた人間に対する、「自然界からの不気味で霊的な警告」——そんな心理的ドラマを秘めた一枚なのです。

この絵の前での過ごし方

もしスウェーデン国立美術館を訪れる機会があったら、ぜひ以下のポイントで《カケス》を味わってみてください。

嘴から「音」を聴く
絵画を視覚情報としてだけ捉えるのではなく、音響として想像してみてください。静まり返った美術館の展示室で、「ギャーッ!ギャーッ!」というカケスの甲高い警告音が脳内に響いてきたら、リリエフォッシュの仕掛けた罠に見事にはまった証拠です。

手前と奥の「ボケ味」の違いを確かめる
手前のカケスの羽毛の一本一本まで見えるシャープなタッチを確認してから、奥のカケスや背景に目を移してください。1886年に手作業で実装された「ポートレートモード」の精度に驚くはずです。

対角線の構図と余白に「浮世絵」の面影を見つける
少し離れて構図の骨格を眺めてみてください。右下から左上への対角線と、左上に広がる大胆な余白。北欧の森にたどりついた日本の花鳥画の美学を、はっきりと見つけることができるはずです。

ABCトリオの絵を比較する
同じ美術館にあるソーンやラーションの絵と見比べてください。柔らかな光の肖像画、明るい家庭の風景——そのあとにこの《カケス》を見ると、「食うか食われるか」の緊張感がいかに異端であり、それでいて抗いがたい磁力を放っているかが、鮮明に浮かび上がります。

139年後の今日も、カケスは叫んでいる

ブリューノ・リリエフォッシュ。体操選手であり動物園の飼育者であり、木に登る画家であり、森に剥製を設置する狂人でもあった男。

26歳の彼が1886年に描いたこの一枚は、100年間も国立美術館に認めてもらえませんでした。しかし今、それは北欧美術を代表する至宝として、ストックホルムの壁の上に静かにかかっています。

枯れ枝の上で、カケスは今日も嘴を限界まで開き、スウェーデンの森に向かって叫び続けています。

「逃げろ」と。

あるいはこう言っているのかもしれません。「よく見ろ」と。

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