マネ《鉄道》をどう見る?列車を隠す蒸気と二つの視線

マネ《鉄道》全図。黒い鉄柵の前に青い服の女性と白い服の少女があり、柵の向こうを白い蒸気が覆う 近代美術
Édouard Manet, The Railway, 1873. Courtesy National Gallery of Art, Washington. Public Domain / CC0.

《鉄道》という題名なら、機関車やホームを探したくなります。けれどエドゥアール・マネの1873年の絵には、列車そのものが見当たりません。画面の中央を占めるのは黒い鉄柵。その向こうには白い蒸気が広がり、手前には青い服の女性と、白い服の少女がいます。

見えないからこそ、絵の中では視線がよく動きます。女性は本を開いてこちらを向き、少女は柵の向こうへ背を向ける。二人は同じ場所にいるのに、見ている方向が違います。列車の姿を探す前に、この二つの向きと、蒸気に隠された奥行きを追ってみましょう。

マネ《鉄道》全図。黒い鉄柵の前に青い服の女性と白い服の少女があり、柵の向こうを白い蒸気が覆う

まず作品のプロフィール

《鉄道》(The Railway)は、エドゥアール・マネが1873年に描いた油彩・カンヴァス画です。大きさは縦93.3cm、横111.5cm。ワシントンのナショナル・ギャラリー(NGA)が所蔵し、受入番号は1956.10.1です(NGA作品ページ)。

画面の左には、低い石の壁に腰かける女性がいます。濃い青の服には白い縁取りがあり、黒い帽子には赤と白の花が見えます。女性の膝には小さな犬がおり、手元には開いた本と閉じた赤い扇があります。右の少女は白い服を着て、柵のほうを向いています。柵の奥は蒸気に覆われ、右上には橋の一部がのぞきます。

女性のモデルは、NGAがヴィクトリーヌ・ムーランと記す人物です。一方、二人が母子なのか、子どもを預かる女性と子どもなのかは、NGAも問いとして残しています。ここでは関係を答えにせず、同じ画面に置かれた二つの姿として見ます。

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題名は《鉄道》なのに、列車は見えない

まず不思議なのは、題名と見えるもののずれです。線路も車体も、画面の正面にはありません。けれど少女の前の柵、その下から立ち上がるように見える蒸気、右上のPont de l’Europeによって、鉄道のある場所だと分かります。NGAは、この橋を19世紀フランスの画家たちが好んだ場所の一つとして紹介しています。

ここで大切なのは、「列車が描かれていないから失敗」ではないことです。列車を一目で見せれば、私たちの目はそれを中心に集まるでしょう。画面には代わりに、通り過ぎたか、これから通るかもしれない列車のしるしが残ります。蒸気は奥の大部分を隠し、少女の身体はその方向へ向く。絵を見ている私たちは、見えない線路の位置を頭の中で補うことになります。

《鉄道》の少女と蒸気の寄り。白い服の少女が鉄柵へ背を向け、柵の向こうに白い蒸気が見える

これは作者が「想像せよ」と命じたという意味ではありません。本稿では、見えない列車をめぐって視線が画面外へ伸びるように感じられる、という鑑賞上の読みです。列車の物語を細かく作るより、少女の背中と蒸気がどこへ目を運ぶかを確かめるだけで、絵はぐっと動き始めます。

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女性は前を、少女は向こうを見ている

二人の違いは、服の色だけではありません。女性は画面の手前でこちらへ顔を向け、少女は背中を見せます。女性の近くには、本、扇、犬という小さなものが集まり、少女の前には柵と蒸気という広くてつかみにくいものがあります。

《鉄道》の女性の寄り。青い服の女性が開いた本と赤い扇を持ち、膝の上に小さな犬が見える

この対比から、女性は退屈している、少女は列車に夢中だ、と決める必要はありません。表情や姿勢から感情を一つに固定する証拠はありませんし、二人の関係も不明です。まずは、画面の中でこちらへ開く視線と、奥へ閉じる背中が同居している、と言えば十分です。

女性の目線は、鑑賞者を「問い詰める」ために描かれた、とも断言できません。ただ、少女だけを追っていた目を、女性の顔が手前へ戻すことは観察できます。私たちの視線は、女性、本、犬、少女、柵、蒸気の間を往復します。ひとつの主人公に話が集まらないところが、この場面を静かに複雑にしています。

人物の視線を、心情当てではなく画面の働きとして読む練習は、肖像画の視線を読むガイドで続けられます。

黒い柵と白い蒸気が、画面を二つに分ける

《鉄道》で最も強い形は、人物の輪郭だけではありません。黒い柵の縦線が、画面の上端まで伸び、一定の間隔で繰り返されます。手前の人物、石の壁、柵の奥の蒸気を、一本ずつ区切るようにも見えます。対して蒸気は、輪郭を持たない白い大きな面です。

《鉄道》の鉄柵と蒸気の寄り。黒い縦の鉄柵が並び、その向こうに白い蒸気と奥の建物・橋の一部が見える

この黒と白の差は、奥行きを説明するより先に、画面の表面へ目を引き戻します。柵は遠くへ続く道筋ではなく、まず縦の反復として見える。蒸気は空気の奥行きを示しながら、同時に奥の情報を消してしまう。近いものと遠いものが、すっきり分かれません。

NGAは柵を当時の階級分断の象徴かもしれないと紹介します。しかし、その意味を採用しなくても、この柵が人物と蒸気の間にあることは誰でも確認できます。象徴の答えを急ぐ前に、黒い線がどこで女性の帽子や少女の白い服と重なるかを見てみましょう。平らな近代絵画の見方は、こうした線と色面から始める助けになります。

新しいアトリエで描かれ、1874年のサロンに出た

NGAの解説によれば、蒸気の奥、画面左上に見える建物の扉はマネのアトリエにつながり、1873年に移った新しいアトリエで《鉄道》は最初に制作された作品でした。制作の場と、鉄道の蒸気や橋が近い場所が、同じ画面に入り込んでいます。

またNGAの展示履歴は、この作品が1874年のパリ・サロンに出品されたと記録しています。ここで作品を、のちの美術史のラベルだけで急いで片づける必要はありません。まずは、近代の交通や都市の断片を、女性と少女のいる身近な画面へ入れた絵として見るのがよいでしょう。

ただし、アトリエの近さからマネの気持ちや制作動機まで読み取ることはできません。確認できるのは場所に関するNGAの説明と、画面に蒸気、柵、橋の一部が描かれていることです。その限られた材料でも、都市が人物の背景ではなく、画面の見え方そのものを変える存在だったことは考えられます。

絵の前で試したい、3分の見方

情報を覚えなくても、この絵は三つの短い手順で楽しめます。

  1. 最初の一分は、列車を探さない。 女性、少女、犬、本、扇、柵、蒸気のうち、最初に目へ入ったものを二つ言葉にします。
  2. 次の一分は、二人の向きを比べる。 顔、背中、手、足の向きを追います。関係や気持ちは、まだ決めません。
  3. 最後の一分は、柵の奥を見る。 蒸気の中で見える建物や橋の断片を探し、どこからが見えなくなるかを確かめます。

《鉄道》の女性の膝まわりの寄り。開いた本、閉じた赤い扇、女性の膝の上の小さな犬が見える

この順番では、「正しい意味」を当てる必要がありません。たとえば「白い蒸気が多くて、奥が見えない」「女性の顔を見ると、少女の背中へ戻りたくなる」と言えれば、それは画面から始まった立派な鑑賞です。マネの《鉄道》は、列車を見せないことで、見る側に小さな空白を残しています。

見えない列車から、近代都市を考える

《鉄道》の面白さは、鉄道を説明図のように描かなかった点にあります。黒い柵は画面の手前に立ち、白い蒸気は奥を隠す。女性は私たちの側へ、少女は柵の向こうへ向く。その間に、見えない線路と列車の気配が生まれます。

二人が誰で、何を思っているかを一つに決めなくても、この絵は十分に豊かです。むしろ決めないことで、本、犬、扇、白い服、蒸気、橋という異なる細部を何度も見直せます。近代都市は、画面の中心に堂々と現れるだけでなく、背景を隠す蒸気や、人物の向きを変える気配としても描けるのだと、この一枚は教えてくれます。

次は、都市の場所を作品どうしで読むなら19世紀パリの人々を場所から見るガイド、画家の全体像をつかむならマネ作品ガイドへ。視線や画面の平らさを自分で試したくなったら、肖像画の視線を読むガイドと平らな近代絵画の見方が次の入口になります。

出典・画像クレジット

  • National Gallery of Art, Washington, The Railway(作品情報、画面説明、モデル、橋、アトリエ、展示履歴)
  • National Gallery of Art, Washington, Terms and Notices / Open Access Policy(NGAがパブリックドメインと考える対象画像のCC0利用条件・推奨クレジット)
  • 画像5点はNGA公式CC0画像の全図1点と忠実クロップ4点です。Credit: Courtesy National Gallery of Art, Washington. Public Domain / CC0。
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